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2009年03月 アーカイブ

2009年03月02日

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

宇宙世紀0093年。かつてジオン公国軍のエース・パイロットであり、ジオン共和国創始者ジオン・ズム・ダイクンの息子であるシャア・アズナブル(キャスバル・レム・ダイクン)は幾多の戦いを経て人類に対する失望を強め、その腐敗の根源たる地球連邦政府に対しネオ・ジオンを率いて反乱の狼煙を上げた。彼は地球環境を汚染し続ける人類を粛清するため、小惑星5thルナの落下による地球寒冷化を実施する。

かつての一年戦争の英雄で元ホワイトベース艦長ブライト・ノアを中心に構成する連邦軍独立部隊ロンド・ベルは、いち早くネオ・ジオンの動向を察知し、地球寒冷化作戦を阻止すべく応戦した。シャアの最大のライバルであった連邦きってのエース・パイロット、アムロ・レイらの奮闘虚しく、5thルナはラサにある地球連邦軍総司令部に落下してしまう。

ネオ・ジオンはアデナウアー・パラヤを始めとする地球政府高官と密かに裏取引を行い、スペースコロニー・ロンデニオンにて停戦交渉に合意する。停戦に安堵する地球連邦の思惑と裏腹に、シャアは取引によって得た小惑星アクシズを地球に衝突させるべく再び作戦を開始した。そんな時、アムロとシャアは幾度目かの再会を果たし、決定的に決裂するのだった。

合意が偽りである事を察していたロンド・ベルは核ミサイルなどを準備、やがてネオ・ジオンとロンド・ベルとの間で戦端が開かれる。アムロは自ら開発に加わった新型モビルスーツν(ニュー)ガンダムを操り、ネオ・ジオンのエースを相手にしながらアクシズを目指す。一方、アクシズを内部から爆破して軌道を逸らすロンドベルの作戦は成功するかに見えたが、アクシズの一部は既に地球の引力に捉われていた。

壮絶な一騎打ちの末にシャアを下したアムロは、自分の命に代えてもアクシズ落下を阻止する決意を固める…。

作品解説
この作品の舞台は『機動戦士ガンダム』から続いてきた宇宙世紀という歴史の延長線上にあり、一年戦争があった宇宙世紀0079年から14年後、宇宙世紀0093年の第二次ネオ・ジオン抗争[2]を描いた作品である。一連のシリーズで因縁のライバル同士であったアムロとシャアの戦いにピリオドが打たれ、劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの事実上の完結編とされている。

キャラクターデザインと作画監督には『機動戦士ガンダムΖΖ』に引き続いて北爪宏幸を起用している。富野は「安彦くんの参加がないのだから、お客を呼ぶにはシャアたちしかいない」と述べており、本作はシャアとアムロが中心のストーリーになった[3]。宣伝用のポスターでもシャアとアムロの対決であることが強調された。しかし一方でガンダムシリーズが新規ファンを獲得する上では、シャアとアムロを軸としたストーリーがマイナス要因となっていた。このため本作は「第一ガンダム世代の卒業式」と評された[4]。後に富野は本作について「ガンダムでおまえら(シャアとアムロ)には商売させないよっていうのが一番のテーマ」と語っている[5]。

富野によると本作に対する女性ファンの意見として「シャアはあんな人ではない」というものが多かったそうである[6]。池田秀一も「シャアって、こんなに子供だったのか?」と述べている[7]。これに関して富野は「いつまでもキャラクターの夢の部分だけを見ているのはよくない」と述べている[6]。池田秀一はシャアは富野を写す鏡であるとしており、池田によれば「シャア(富野)はもっと女々しい男なんだぞ!」と主張したかったのであるとしている[7]。樋口真嗣も「とうとう、シャアやアムロが富野さん自身になってしまった」と述べている[5]。

サンライズの内田健二によると「初めて観る人でも楽しめる作品」としているが[8]、福井晴敏は「これわかんないよ普通の人には」と述べている[5]。富野も「セリフなどが難解でストーリーがわかりにくかった」という意見があったことを認めている[6]。富野によると「わかりやすさということと自分の言いたいテーマを表すということが両立できない」のが原因だそうである。
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『機動戦士Ζガンダム』で可変機構が組み入れられ、『機動戦士ガンダムΖΖ』では巨大化・大出力化が進んできたモビルスーツであるが、本作品ではシンプルな人型の機体が中心となっている。これはテレビアニメである『Z』『ZZ』と比べて劇場作品である本作はマーチャンダイジング上での制約がなかったためだとされている。サイコミュ回路を金属粒子に封じ込めて機体のフレームに使うサイコフレームが登場し、ファンネルが、初めて主役機のνガンダムにも装備された。

メカニックデザインは、主役のνガンダムについてはΖガンダム、ΖΖガンダムと同様にコンペ形式で多数のデザイナーが参加、その中で鈴木雅久らが中心になって数多くのラフデザインを提出し、最終的に出渕裕がまとめている[9]。ネオ・ジオン軍MSは出渕裕がデザインしている。その他、戦艦のデザインをガイナックスが担当している(ネオ・ジオン軍艦艇は庵野秀明、ロンド・ベル艦艇は増尾昭一)[10]。

スペースコロニーのサイド1・ロンデニオンとスウィートウォーターの描写などで当時としては珍しいCG技術も使われた。このうちロンデニオンの映像はのちに『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のラストカットで登場するサイド6・リボーの映像としても流用された。

自らもスタッフとして参加していた庵野は『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。この本にはゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫、ことぶきつかさ、藤田幸久、あさりよしとお、山賀博之らが参加しており、庵野と富野、押井守らとの対談が収録されている。この中で繰り広げられた富野と庵野による衝撃発言の数々は、様々な意味で話題を呼んだ。

2009年03月17日

醍醐寺(だいごじ)

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。
醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんていかんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称する)、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

その後応仁の乱など相次ぐ戦争で下醍醐は荒廃し、五重塔しか残らないありさまであった。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに紀州などからの寺院建築の移築や三宝院の建設などにより今日見るような姿となっている。

1939年夏、上醍醐を襲った山火事で短時間の間に、経蔵など点在する建築が焼失した。

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震の影響で、五重塔、金堂などの漆喰がはがれた。

2008年8月24日の火災により、醍醐寺東側の山上にある西国三十三観音霊場第11番札所の「准胝(じゅんてい)観音堂」がほぼ全焼した。

伽藍 [編集]
上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する。
アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

下醍醐 [編集]
本尊薬師如来を安置する「金堂」、「三宝院」などを中心に、上醍醐とは対照的な絢爛な大伽藍が広がる。しかし壮大な下醍醐の伽藍は応仁の乱によってほぼ全焼し、その後も幾度の火災によって焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は奇跡的に創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部に描かれた壁画も国宝に指定されており、中でも空海の肖像画は同人を描いた現存する最古のものである。

西大門
金堂(国宝) - 現在の建物は豊臣秀吉の発願により紀州湯浅の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂を慶長4年(1599年)に移築・再建。
五重塔(国宝) - 天暦5年(951年)に醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が建立したもので、醍醐寺のなかでも唯一の創建当時からの建物。
清瀧宮本殿(重要文化財) - 慶長4年(1599年)建立。
弁天堂 - 昭和5年(1930年)に林泉の北東岸に建立された建物。
大講堂 - 昭和5年(1930年)建立。
女人堂

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