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11世紀のイングランドは

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11世紀のイングランドは、デーン人の王朝(クヌート王等)の後、ノルマンディーの支援を受けたアングロ・サクソン王朝のエドワード懺悔王が即位したが、その支配はデーン人とノルマンディー人の影響力の脆いバランスの上に立ったものだった。この不安定な状況が、のちに外部の介入を招く伏線となった。

エドワード懺悔王には息子がいなかったので、異母兄エドマンド2世の息子エドワード・アシリングをあらかじめ後継者に迎えていたが、エドワード・アシリングが亡くなると、その幼い息子エドガー・アシリングを後継者とした。しかし、1066年に懺悔王が亡くなると、年少(15歳前後)のエドガーは無視された。代わりに、王妃の兄で最大のサクソン貴族であったハロルド・ゴドウィンソンが、サクソン諸侯会議によって王として選ばれた。

その後、紛糾が起こった。ハロルドの弟トスティは、ノルウェー王ハーラル3世と組んで王位を主張した。一方、ノルマンディー公ギヨームは、エドワード王から後継者に指名されていたと主張した。さらにギヨームは、以前にハロルドがギヨームの後継を承認する誓い(聖骨の誓い)をしており、即位は破誓であり無効だとし、ローマ教皇の承認を得た。かくて、状況が紛糾して、これを解決するのは武力しかないというありさまになった。

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2009年04月30日 11:55に投稿されたエントリーのページです。

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